龍馬の独り言



第8回 「高知を愛しちゃーせん人に、
         高知の要職が務まるろうか?」


  ワシは高知で生まれて、高知で育ったぜよ。
  ほんで、当然に高知県を愛しちゅう。

  このワシに「同じ四国の隣県である徳島県や愛媛県、香川県のために力を尽くせ」と言うても、ワシはこれらの県のために力を注ぐつもりは全く無いぜよ。
  (これらの県の皆様本当にすみません。しかしながらこれがワシの本心ぜよ。)
  ワシがもしもこれらの県のために身を粉にして力を注ぐのであれば、ワシは当然に「高知県のためにしたい。」と思うぜよ。

  何故やろう?

  高知で生まれて、高知で育ったその環境が、知らないうちに高知を愛しちゅうがやろう。
  自分自身でも気がつかんうちに高知を愛しちゅうがやろうのう。
  これは高知で生まれて、高知で育った人じゃないと分からん感情じゃろう?
  高知で生まれて、高知で育った県内人にだけが理解できることぜよ。

  我が土佐は、知事や各種委員等の要職も、残念ながら県外人が非常に多いぜよ。
  (本当に残念ながら)縁もゆかりもない県外人が多いがぜよ。
  こんな人らあに本当に高知が愛せるろうか?
  高知を愛せん人らあに、本当に高知のための政治等が出来るろうか?

  答えは「NO」ぜよ。

  ワシは、県外からやって来て、現在高知に住んじょって、高知を愛しちゅうと言いゆう人らあを何人か知っちゅうけんど。
  これらの人らあは、生粋の高知県人よりも、より多く高知県を愛しちゅうかも知れんが?
  しかしながら、この愛しちゅう度合いは本人じゃないと分からんぜよ。
  愛してのうても、愛しちゅうと言えば他人には分からんがよ。
  口ではどうでも言えるぜよ。

  しかしながら、この度合いは、嫌なもので(必ずや)日常の何気ない行動に表れるがぜよ。
  県外人で高知の要職にあって、高知を駄目にしゆう人らあがおるぜよ。
  何故高知を駄目にしゆうがか?
  答えは簡単ぜよ。
  この人らあは高知が嫌いながよ。
  (愛しちゅうどころか嫌いながぜよ。)
  本心は嫌いながやけんど、建前は高知が大好きなががよ。
  口では高知を愛しちゅうと言いゆうがよ。
  「だまされちゃいかんぜよ高知県人よ!!」

  現在の世の中で、高知出身でないと高知県知事になれんというのは時代遅れだとは思うけんど。

  ちなみに大きく開けちゅうはずの米国では、「米国生まれでないと米国の大統領にはなれない」という憲法があるがぜよ。
  ・・・ということは、カリフォルニア州の新知事になったシュワちゃん(アーノルド・シュワルツェネッガー)は米国の大統領にはなれんぜよ。
  この制度がよいかどうかは異論があるろうけんど!

  ニワトリは、最初に見たものを親と思うがやと・・・。
  人間とニワトリとは当然に違うもんやけんど、双方とも動物じゃということを考えると、その本能は同じやないがやろうか?・・・とふと思ったりもするぜよ。

  「米国生まれでないと米国の大統領にはなれんという米国憲法は正しいがやろうか?」
  その答えは、神のみが知っちゅうぜよ。